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ウクレレではなく「ホッと」するお話
ハワイという場所は不思議な魅力があるのか、米国嫌いの英国やオージたちも「ハワイは好きだよ」と言う ・ ・ ・というお話を以前にもしたと思います。そしてもちろん日本の方々にとっても大好きな場所であることはもう太鼓判モノ。「将来必ずここに住むぞ」と決めている方々も本当に多いと実感するし、そんなみなさんもぜひ住んで、良い事とともに不愉快や不条理、社会のアホさ加減なども含めた"それぞれのハワイ体験"をオススメします。
なぜならば、そんな体験を経てこそ、今まで不満だらけだった自分たちの街や日本という国の良さやありがたさに気づく事ができるから。この言葉はハワイ大卒の元同僚やクライアントで海外勤務が長かったマーケティング部長さん、松下USAでニュージャージーに駐在していた従兄弟などからもミミタコなくらい聞いていたが、やはり自分には理解できなかった。しかし「百聞は一見〜」なのが人間。近頃は自分でもその意味がわかってきましたし、一人一人の独自な経験や感想こそが大切だと痛切に感じます。
ところで「ハワイが好き」になるきっかけって「ウクレレが好き」っていうのと似ていると思いませんか?と勝手に感じる今日この頃です。
例えば、昔から存在は知っていたけれど特に意識していなかった。でも初めて体験してからカンペキにハマった東京都渋谷区Aさん男性(←ここの店長か?)とか、あまり存在感が大きくないところがかえって好きという名古屋市中区Yさん女性などなど、みんなの話を聞いていると思いあたるトコがあるのではないですか?
そこでハワイでの暮らしでボクが救われる「ホっと」すること、「ハワイに根付いた日本」について身のまわりで感じたことをお話させてください。
映画「下妻物語」をDVDで見て感動し、バンドに奴らに奨めたら「Kamikaze Girls-Shimotsuma Storyだろ?随分前に見たよ」と軽くかわされるし、イニシャルDと同じトヨタがスピードスターのリムにブリジストンタイヤでドリフトしているわ、着メロもおじちゃんの知らない日本の音楽。ま、それはさておき、まずは最初にハワイにやって来た異邦人の歴史を見てみましょ、ぼくらの先輩の話ですからね。
ハワイに来た人で有名なのはキャプテン・クック。おっいきなりビショップミュージアムぽいお話か(笑)。時は1778年、芥子(ケシ)が目的でやって来たのをきっかけにハワイ諸島へハワイ系以外の人種が登場。そして彼らは伝染病をもちこみ、免疫のないネイティブの人口が激減する。反面、ハワイ王朝はゴールドラッシュ(1844)・南北戦争(1861)で需要が拡大した砂糖を米国に供給するために条約を米国と締結(1875)し、ここからアメリカに翻弄される歴史がスタートする。
Q:なんで翻弄なの?
A:それは伝染病を持ちこんで人口を減らしておいて、でも労働力が必要な事情も重なったという相反する事情から移民が入りこみそして占領に至るからだ。
労働力を必要としたハワイへの移民の歴史はまず中国から1825年にやってくる。しかし、当時のハワイの人と結婚すると土地を所有できる法律と、一夫多妻制の中国の慣習により土地を買い占められる。そこでハワイ王朝は中国からの移民を規制するのだが、1852年にはじまり1897年中止まで、約46,000人の中国の人が移民となった。
ちなみに現在ハワイ州に在留法人として届けている人は約2万人。そして1日平均約7000人×少なくとも3泊するとして=2万1千人が旅行客。その合計程度が中国から来たということだからそんなに多くないのか。よく「ハワイなんて日本人ばかりだった」とステレオタイプな御意見を耳にしますが、ニューヨークなんて在留法人登録者だけでも5万人いるそうです。優秀な国民ですから世界中に居て当然かもしれません。
次いでポルトガルから17,500人(1878〜1913)、そして明治元年(1868)からは、ついに我が日本の方々が移民としてハワイにやって来る。その数18万人!とケタが違うのだ。写真は日系移民の住居ですが、いかに劣悪な環境だったかがうかがえますね。
おもしろいエピソードその1として、明治政府は倒幕運動でガタガタしていた。とにかくなんとか幕府を倒したは良かったが、行政などに不慣れだったのか海外渡航許可は民間に委託されていたそうだ。ま、いずれにしても「ハワイへ移住したいがビザがね」という、現代の我々が抱えている苦労のはじまりもここからでした。その当時のハワイは決して楽園などではなく、さとうきび労働者の生活は生き地獄だったようです。しかし、いい加減な気持ちでハワイに来た日本人でしたが、その多くはどうせ船賃もなく帰れないと開き直り、多くは仕事に精を出し、ハワイ独自の英語「ピジン・イングリィッシュ」には日本語の「番号」がそのままBangoという発音で使われるほど土地に根を下ろしていったのです。

おもしろエピソードその2として、明治政府の要人は倒幕の立役者が薩摩・長州であったことから、ハワイへのプランテーション移民は広島や山口からの人たちでした。だからハワイ島のHiloは広島のヒロ。このように歴史的に見ても、想像以上に日本はハワイと密接な関係にあり、また日本人(日系人)の方々がハワイにもたらした功績は非常に大きいもの。その先人たちの計り知れないご苦労と功績のおかげで、米国内でもハワイでは特に日本人はとても尊敬されているのですし、また現代に生きるその子孫たちはコミュニティーでも信頼されていますし、米本土の日系人との大きな違いは、ハワイの日系人は自分のルーツである日本を尊敬し、自ら日本文化を探求するのだそうです。したがって日本人に対して真摯に接し、現代日本への興味や敬意の念が強いのだそうです。
さて、そんなハワイの日系人の歴史をへて、環境や隣人についで現代のハワイ生活に私たちが欠かせないのが「食」だとおもいます。それもロングステイや移住となると、食こそが困難に立ち向う活力ですね。お米はカリフォルニア産コシヒカリのおかげでSushiも美味しくいただける。うちは日本料理の板前さんも太鼓判のタマキゴールド(もちろん軽洗米)を旧ダイエー・今ドン・キホーテで買っています。http://www.tamakimai.com/
まぐろにしたってこの辺で獲った魚が三崎や築地に来るって話ですし?
そしてオアフで一押しはお豆腐。ベラタニアを西にむかって中華街を過ぎ、リリハを越したあたりのディリンガムとノースキングに囲まれた三角地帯、タマシロマーケット(注:日本の有名なバンドではなく、まぐろが美味しいと評判のグロッサリーストア)の手前あたりに「AlohaTofu」の工場があります。ここのお豆腐や納豆は「Always 三丁目の夕日」の時代の味がする。現在アロハトーフの代表ポール・ウエハラさんは、さすがに3代目だけあって日本人より江戸っ子気質があるってモンよ、て感じでの方です。
ポールさんはハワイ大学マノア校卒業(ビジネスとアジアンスタディーズのダブルメジャー)後、交換留学プログラムで4年間アジア各国を巡ったそうです。その際に各国の大豆料理を目にし、また日本では広島のお豆腐屋さんで日本の豆腐造りの腕を磨いたのです。ついでに奥さまとも出会ったとか。
「お豆腐も納豆も昔の味がするでしょ?」って自分より若いローカルに言われてしまう日本人のオレって、一体何?
実は少し前(ハワイアンタイムで少し前だから随分前かも ・ ・ ・)に店長阿部さんへのメールのついでに「サッポロ一番」添付写真を送ったところ、「ねぇ、コレどんな味するの?日本と同じ?」と返信が来た。「ウクレレ・ホッと〜。で紹介してよ」というのが今回の切り口のヒントでした。

アロハスタジアムにUHフットボールチーム「ウォーリアーズ」を応援に行く日は、ゲームが始まる前から駐車場に陣取ってバーべキューをする。そのとき使うコールマンのコンロのことをみんな「Hibach」と呼んでいる。いつものメンツはバンドの太鼓ブライアン・クリハラ以外、日系人は無しなのにみんな「ヒバチ」と呼ぶ。

育った場所はそれぞれの個人の根っこだと思う。それに比べたら国籍なんてそのひとの個性ですらならない。インターネットのおかげで日本に住むお友達と楽しいお話もできるので、なんとかよその国で生きて行く事が出来ます。みなさん本当にありがとうございます。
そんな郷愁の想いとともに、またここには我が祖国で忘れ去られた明治産まれのおじいちゃんやおばあちゃんのような人がいて尊敬されているばかりか、あの昭和の香りが多くの家庭に残っている。世帯平均年収450万円程度といわれるハワイは、日本の個人所得を下回る。だからこそ助け合い、ひとつになりながら懸命に生きる社会がここには残っているのだろう。まだ白黒テレビが家に一台しかなかったあの頃みたいに。
ジェイクくんにしてもダニエルさんにしたって、自身のルーツに関係なくとても好青年。アコデで彼らに会ったみなさんは感じたはずだ。もちろんそのへんの奴もほんとイイ奴が多い。今回写真でご紹介したワイパフにあるハワイ・プランテーション・ヴィレッジには地元の高校生たちも授業でやって来る。そのなかに片言の日本語を話す生徒がいると、自分から日系移民について説明を買って出る。それがとってもいい感じに見えるんだ。
僕らの日本はもう充分に派手な生活を楽しんだはずだ。「もうイイでしょ、充分だな」と感じている方にはハワイはオススメの場所だとおもう。ぼくらのルーツがここにはまだ残ってるんだ、忘れかけている昭和の頃の情がね。
だからホッとするのかな、ココの島はね。
今回多く使用しました写真は、ワイパフというところにある「ハワイズ・プランテーション・ヴィレッジ」で撮影いたしました。ファクトリーアウトレットで有名なワイケレと同じ高速出口からクルマで5分のところにあります。
プランテーション労働者として移民となった各国の文化や生活風土が、それこそクロスオーバーして共存しているハワイ。ここでは、そのルーツを巡る旅にタイムスリップすることができます。高見山関が大相撲に入門したのも、日系移民たちが土俵を作って相撲を楽しみ、その姿をハワイ系の隣人たちが見ていたため、ロコたちは相撲がどのようなものか知っていたのだそうです。
若い世代の人口が減少し、場合によっては労働力を海外の方々に頼るかもしれない我が日本にとって、ハワイの社会は良いお手本になるかもしれません。
金曜には「ケンさん」という日系の方が、バリバリの日本語でガイドをしてくれることがあります。(注:ボランティアですから毎週というわけではありませんし、英語でのガイドにまわる日もありますので、事前に確認が必要です) 彼は海軍でベトナム戦争に従軍したこともあり、30年かけて昨年ハワイ大学を卒業し、歴史に関してもとても楽しいお話をしてくれます。
最悪の場合、わたくしAki’Iのガイドになってしまう場合はご容赦ください。
Waipahu Cultural Garden Park 内 Hawaii’s Plantation Village
電話(808)677-0110
英語で出たら「Is there anyone who speak Japanese?」 と話せば日系のかたに代わってもらえます。
http://www.hawaiiplantationvillage.com/
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