Burghausen生まれのヨゼフ・ハウザーは学校を出たあと、商人と大工両方の弟子となりました。その見習い期間の間に当時の有名なチター教師であるJospf Wimmerの元を卒業した後すぐにチターの為の曲を作曲。そしてヨゼフ・ハウザーは、チターの教師であるコンサートヴィルトューソになりました。ミュンヘンのすぐ近くのエルジングで古い納屋を借り、チターの製作を始めたヨゼフは最初のチターをチター保護者であったミュンヘンのマクシミリアン伯爵に見せ意見を求めました。マクシミリアン伯爵は、ヨゼフを歓迎し一晩中ヨゼフと共にこの新しいチターを弾いたそうです。その翌日、ヨゼフは伯爵の推薦状を得て楽器製作者としての道を歩み始めました。ヨゼフは誇りを込めて自分自身のことをチターメーカーと呼んでチターの製作に打ち込みました。ヨゼフはチターだけに留まらずギターやマンドリン、バイオリンにリュートも製作しました。1875年には自分で作曲したフォークミュジックの曲を出版する為、チター音楽出版社を設立。ヨゼフ自身が作曲したとして知られる曲が400以上あります。その後結婚したヨセフ・ハウザーはワークショップと出版社をミュンヘンに移しました。1898年にベルリンで開催されたCommon Music Expositionではバイエルンのマクシミリアン伯爵より芸術と科学の繁栄を称えたメダルがヨゼフ・ハウザーに与えられました。